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「僕らは奇跡でできている」と「ざんねんないきもの事典」で考えたこと。

「僕らは奇跡でできている」と「ざんねんないきもの事典」で考えたこと。
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2018年秋のドラマも終盤にさしかかってきました。

色々見はじめたんですが、途中で脱落したものもあります。

先日はけっこうハマって見ていた「結婚相手は抽選で」の最終回で、納得の終わり方でした。

そして、ドキドキワクワクするようなドラマではないんですが、じんわりと響いてくるのが高橋一生さんが主演の「僕らは奇跡でできている」です。

特に先週の放送で・・

いつもマイペースでのんきそうに見えていた一輝(高橋一生)の告白シーン。

「虹一ともう関わらないで欲しい」という虹一の母親に(虹一と同じように)皆と同じことができなくて居場所のなかった自分が、唯一「生き物」の観察で皆にほめられ、そこで「1番になりたい」と思いつめた結果、あんなに好きだった「生き物」に関わる事がイヤになってしまったこと、

しかし理科ができなくても、それでも自分が受け入れてもらえたこと、

「できないことがたくさんある自分でも、ここにいていいんだ。」

それを感じた時にまた生き物の観察をしたくなった、という話をしたことがすっごく心に残りました。

あのお母さんも、ドラマ的に見ると「なんで子供の良い部分を見てあげられないの?」と思うかもしれませんが、実際に自分の子供だったら、「他の人と同じことをできるようにしないといけない」と思うんです。

でも一輝が、「やればできる」というのはもしかして「やってもできない」ということもあるかもしれない。

と虹一の母親に言います。

・・・ここで心に浮かんだのはうちの長男。

色々と心配な部分があり・・・姉妹での子育てでは感じなかったことだらけ。

「何で?」の連続。

そのことは、また落ち着いたらブログに書くかもしれませんが、この世の中の「当たり前」について色々と考えました。

世の中の「当たり前」のルールは、本当に「当たり前」なのか?

一つ一つ、できるのがすごいことなのでは?

そして、その「当たり前」ができない人は落ちこぼれなのか?

「発達障害」の「障害」とは、誰が感じるどういう事への「障害」なのか?

何もできない状態で生まれていた赤ちゃん。

初めて寝返りできた、お座りできた、歩けた・・・

それで「すごいね」って言っていたのに、できるようになったその日からそれは「当たり前」になって、次から次へと「これもできるでしょ」「できないと困るよ」っていう課題が出てくる。

100できたことがあっても、1つのできないことが非難される世の中。

「できないこと」をそのままにしておいていいものか・・・

それは本人の「生きづらさ」を助長することにならないか?

 

そんな時、長男がお誕生日にもらった「ざんねんないきもの事典」を私も読んでみました。

生物は昔から色々な形に進化しながら生き残ってきた。

それまでその生物で大多数の形態だったものがある日現れた天敵に襲われ死滅していったとき、偶然現れた違う形態のものが生き残り、そこがまたスタンダードになった。

この本は、そんな中残っていったムダな機能だったり驚くような生態だったりにフォーカスした本ですが、つまり「多様性」は生物の生存本能であり、それこそが進化の歴史なんだと思います。

でも今の人間社会ではやっぱりそうも言っていられないわけで・・・。

「皆同じことを強要する社会」「違うことをした人間に対して許容できない社会」

そんな窮屈な世の中に温かい気づきをさせてくれる良いドラマだなって思います。

しかし先週急展開が!まさか一輝の母親が!?

今夜、続きが気になりますね。

第9話の感想↓

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