先週金曜日に初めて、NHKで夜10時から放送しているドラマ「この声をきみに」を見ました。
いや、竹野内豊さんが演じる数学准教授役がリアル・・!
かっこいいのに、なんとなくダサい感じとか年相応にちょっとくたびれた感じがしっくりきています。
ざっとあらすじを書きますと・・・
主演は竹野内さんが演じる数学の大学准教授、穂波孝。
偏屈でサービス精神もない彼は、大学の授業でも人気がなく講義にも空席が多い。
しかも妻の奈緒(ミムラ)は2人の子供を連れて出て言ってしまい、離婚を要求されている。
そんな中、偶然出会った京子(麻生久美子)の朗読教室へ通うことになる孝。
朗読を通じて、空想すること、そして人の気持ちを想像することを初めてしていくのだった。
作り的にはNHKっぽいというか、セリフが文学的でちょっと独特です。
でも、それがけっこう良い味だしています。
そして、人の気持ちに鈍感で自分は何も悪いことしていないと思っている孝役が、竹野内さんにはまっています。
いや、かっこいいんですけど、竹野内さんはちょっとそういう不器用というか、偏屈な雰囲気を感じさせるんですよね・・・。
だから、トレンディドラマとかよりも、合っている感じがしました。
孝はなぜ離婚を要求されたのか?
家庭内暴力もしていない、浮気もしていない。ちゃんと生活費だって入れてる。
子供も妻も愛している。
なのに、何で離婚を要求されるのか?
私は以前の3話は見ていないんですが、離婚調停で妻側からの主張を聞いて、納得しました。
孝は、自分の娘が喘息発作で苦しんでいたことを4ヶ月間気がついていなかった。
孝はその時大事な学会のことで頭がいっぱいだった、と言い訳するのですが・・・。
ほーほー、なるほど。
我が家の子供3人ともアレルギー持ちで病弱だったので、今まで数限りなく病気や発作のケアをしてきましたが、私と夫とは子供に対するスタンスが違うなって思う場面が何十回もありました。
子供たちが苦しそうだった高熱だったりすると、私は違う部屋にいても気が気じゃなかったのですが、旦那はテレビに見入っていたり。
旦那が病弱なのもあり、看病もほぼ私。(でも私も最後にうつっていましたが・・・)
もちろん夫は冷徹な人間ではなく、夫のほうがうまくケアできるところもあるんですけど、相手の気持ちや状態にたって考えるということがないなと思ってはきました。
共感能力が低いというか・・・いつまでも自分中心、なんですよね。
かたや母親は、どうしたって、子供中心にならざるを得ない。
でもそういう夫って多いんじゃないかな。
とはいえ、子供が苦しそうにしている姿に気がつきもしないなんて!
奈緒がブチ切れるのはわかりますね。
それから奈緒がある時、いっぱいいっぱいになって子供に感情的に怒ってしまった時、
「母親がキーキーキーキー、あんなに毎日子供に怒っていたら、子供の精神上いいわけないだろう」
と冷たく孝は言い放ち、奈緒はそれを受け精神的なクリニックを受診するようになったと告げられます。
そしてそこで「これ以上この生活を続けると、心身の健康に害をきたす」と言われ家を出たと・・・。
奈緒だって自分のやり方がよくないのわかっていますよね。でも、それなら
今そこにいるあなたは何をするの?
妻が何で怒っているのか?なんでそう言う風に感情的になってしまったのか?
おそらく、何度言ってもやらない、いや逆にしちゃいけないことをやってしまう、子供に対してつい出てしまった感情的な言葉。
その理由も考えずに、それは良くないと言うのなら、違うアプローチであなたは何をするの?
きっと世の中で、そう叫んだ妻が多数いたでしょう。
「くじらぐも」の朗読で
ところで、孝が自分の子供たちと2時間だけ会えるシーンです。
孝は小学校高学年くらいのお姉ちゃんと、1、2年生くらいの弟と公園で過ごし、「くじらぐも」を朗読します。
「くじらぐも」は小学1年生の国語の教科書に載っているので、私は何十回と長女、次女の音読を聞いていたのを思い出しました。
音読は低学年の国語の宿題では必ず出るので、親は常に聞き役です。
だから、孝が逆に読む側になったことに、ハッとしました。
孝は朗読教室でも「くじらぐも」について考えているのですが、
大きなくじらの形をした雲が、先生や生徒を乗せて空に浮かび上がるなんて・・
そんなあり得ないことの想像なんてできない!
と思っていました。
でも、公園の水道の蛇口から水が勢いよく出ているのを見て、それがくじらが潮を吹き上げるのを連想し、初めて「くじらぐも」を想像できたんです。
先生や生徒を乗せた大きな大きなくじら雲は、街や山を越えて行く。
今まで下からしか見えてなかったのに、雲にのって広い大地や空を眺めている。
孝が「くじらぐも」を想像できるようになったのは、人の立場にたってみることをしたから、気持ちを本気で考えたからからでしょうね。
そして、一緒に生活してきた妻が抱えてきた苦悩に、初めて気がついたのです。
私も、初めて「くじらぐも」の世界を想像しました。
大きな雲に乗って空を飛ぶ。
そんな発想、もうとうの昔に忘れてしまっていました。
1年生の子供の心に少し戻れた気持ちがしました。
何十回と聞いていたのに、私はちゃんと耳を傾けていたんだろうか・・・。
そして、朗読していた時の長女と次女の声を思い出そうとしました。
なんとなくは思い出すんです。
でも、きっと違うんだろうな・・・。
まだ二人とも小さくて、声も幼くて。
たどたどしくも一生懸命聞かせてくれた姿、声。
今も大事な子供たちなんですが。
思い出したら、少し切なくなってしまいました。
長男の「くじらぐも」はこれからです。
ちゃんと心して聞こう、と思います。
最後に、心に残った言葉
公園で孝に対して冷たい態度をしていたお姉ちゃんが、別れ際に孝に言った言葉があります。
「お母さんはいつも可哀想だと思っていた。どんなにいろんなことをうまくやってもお金とかもらえないし。」
孝「お金?お金ならちゃんと家に入れているじゃない」
「そうじゃなくて・・・。なんかこの世界ってお金稼いでいる人が威張っているでしょ?
だけど私は文句言いながらも学校に忘れ物届けてくれたり、運動会のハチマキにししゅうしてくれたり、喧嘩した友達にあげる仲直りのクッキー一緒に焼いてくれたり・・・
そういう人の方が大事。そういう人の方が私には価値がある。
でも、お母さんのこと、誰も偉いって言わないでしょ?
もしかして母の日だけ?普段はお母さんのこと何も考えていなくていいの?
もしかしてお母さんて空気?だから、私はお母さんの味方でいたい。」
孝「そうか。まいかはずっとお母さんの味方でいてくれよ。」
・・・泣かせるねー。
自分が母になってつくづく思うこと。
それは、些細で膨大な「やること」がどんなに母の日々に溢れているかということ。
一つ一つ声高に言えるような「仕事」ではない。
でもとにかく膨大な量で、時間も気持ちも取られる。
健康のケアから、勉強、習い事、友達関係、学校のPTA、やたらと多い記入物。
次から次へと押し寄せてきて、日付までにちょうどの金額で集金を用意したり、子供が急に思い出した、持っていかないといけないものを慌てて探したり。
母は場面に応じて看護師・調理師・先生・コーチ・持ち物&スケジュール管理・運転手・美容師・衛生士・会計士になり、さらに交際上手でないといけない。
これだけ色々な役割をこなしながら、無休で無給。
母は子供のため家庭のため、自己犠牲が当たり前とされている世の中ですからね。
そう思っているのは、家族だけではなく、社会全体もです。
私は持ち物&スケジュール管理の部分と交際上手に渡って行く才能がないので、そこでいつも苦労しているんですが・・・。
内外から課される「母がやるべきこと」に対して、できていて当たり前で何の評価もされない。
だからこそ、このお姉ちゃんの言葉にはじ〜んとしました。
本当はこんなこと言う子、あまりいないですよね。
私の場合は、次女の「ママの気持ち、わかる」という言葉。
それで救われましたけどね・・・。
気がついたらこんな長文!
1時間のドラマに、どれだけ感情移入しているんでしょう?
とにかく、次回も楽しみです。
孝と朗読の先生京子の成り行きも気になりますしね。
ちょっと独特なドラマですが、きっと色々なことを考えさせてくれるドラマだと思うので、興味持たれた方はぜひ。