入院中、1日のスケジュールはびっしりと埋まっていて、まさに息つく暇もありませんでした。
この過密スケジュールの間をぬって、なんとかシャワーに駆け込むという感じです。
夜も夜で、入院している母親たちの移動する音や、赤ちゃんの泣き声でロクに眠れず、疲れは溜まる一方。
食事はおばさんが配膳してくれるのですが、最後まで配り終わったらその足で食器を下げにくるという・・・。
五分くらいしかたっていないのに、食べ終わってるわけないっていうの!!
ドリフのコントかと思いました)。
そんなある日の夕方、外からお祭りの音楽が聞こえてきました。
外ではお祭りを楽しんでいるたくさんの人たち。
でも、自分は朝から晩まで寝間着のまま、一歩も出ることができない・・・。
すぐそばにもかかわらず、すご〜く外界と切り離されているような気がしましたね。
赤ちゃんをゆっくりかわいがるという余裕もなく、ただ母乳をなんとか出さなきゃ、とかオムツを替えなきゃ、ミルク作らなきゃ、次は診察・・・とそれだけで1日が終わっていきました。
退院の日を待ち望んでいましたが・・・実は自宅に帰ってから、このスケジュールよりさらに過酷な日々が待っていたんですけどね。
まるでスポーツ合宿か、お寺の修行のような入院生活もとうとう終わり、退院となりました。
その時に病院から記念品としてアルバムとへその緒、長女が生まれた時の産声を納めたカセットテープをもらいました。
でもいくら13年前とはいえ、平成まっただ中!
うちにはカセットテープの再生機器がなく、今までで1回も聞いていません。
(実家にはあるので、いつか聞いてみようかな・・。)
アルバムには、首の座らないお医者さんの、30年くらい前のお写真が載っていました。笑
そのアルバム自体も、私が生まれた時のアルバムかな?というようなデザイン!
思わず「昭和か!?」って呟きました。
でも院長先生、その当時で80歳くらい(いや、もしかしてもっといっていたかも?)だったのですが、いつ休んでいるんだろう?っていうくらいパワフルでしたね。
もうそこの地域では有名で、親子3代そこで産んだとか、そういう人がたくさんいたらしいです。
母もそこで検診なども受けていたそうなので、安心感があったのかな・・・。
私はもう、絶対そこでは産まない!と心に誓いましたが(笑)その無我夢中の入院生活も今思えば懐かしいです。
そして最近調べてわかったのですが、その院長先生は、長女の出産から6年後に他界されていたようです。
生きている間、いったい何百人、何千人の赤ちゃんをとりあげたのかなー。
退院後、1週間ほどは実家に滞在しました。
ギクシャクしていた母とも、赤ちゃんのお世話を手伝ってもらったり、赤ちゃんを可愛がったりする中で、なごやかになってきました。
赤ちゃんのパワーはすごいですね。
実家に1週間ほど滞在してから自宅へ戻ってきました。
いよいよ一人での子育ての始まりです。
でも、太古の昔から子育てをしてきているんだから、きっと大丈夫!と思っていました。
ところが・・・実際こんなにも赤ちゃんに手がかかるとは!
長女はとにかく神経質で、授乳してオムツを替えても、抱っこしていないと常に泣くんです。
しかも大音量で・・・!
首がすわるまでは、常に頭を支えていないといけないので、抱っこすると両手がふさがってしまう。
抱っこひもで新生児から使えるものもいくつかありますが、その頃私が買ったのは、4通りの抱き方ができる抱っこ紐でした。
便利かと思ったのですが複雑で、抱っこするのに手間がかかるうえに暑い!
すごく使いにくくて、あまり使いませんでした。
首がすわるまでは大体3ヶ月、生後5ヶ月くらいからはもう少しコンパクトな抱っこ紐が使えるので、もったいないかなと思い買い替えませんでしたが(真夏で外出もあまりできなかったので)けっこうその期間は長く感じました。
私が出産する前に思い描いていた、赤ちゃんと母親のふんわり穏やかなイメージとは程遠い、常に泣き声に追われている日々でした。
長女の出産エピソード 次の話
1-5.密室育児に追い詰められた日々。